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近況報告 [生活]

少し落ち着いてきました。父の手術も無事に終わり、術後の様態も問題なさそうで、退院の予定も見えてきたので少し落ち着いてきました。いろいろと、ご心配おかけしました。
近日、母の四十九日法要を行なって一段落つきます。

母は、私が小学生の頃に半身不随の兆候が出て、中学生になった頃には自分で歩くことが難しくなり、じきに寝たきりのような状態になってしまいました。数年ほど家族で自宅介護をしていましたが、私が高校に進学するころには、在宅ケアが難しくなったので病院に入院し、病状が改善しないので、リスクのある脳手術を受けたりしましたが症状は改善せず、逆に痴呆の症状が出るようになり、私が就職した頃には会話する能力も無くなり寝たきり状態でした。

私が絵を描く仕事に就くことを父に激しく反対されたのは母の病気が理由でした。手が届かない夢を追って、身を持ち崩すような息子がいては、母を守ることができないと父は考えていました。それだけ母を想っていたのだろうと思います。私は今まで、父が涙を流すところを見たことがありませんでしたが、母の訃報の知らせを受けて病院に駆けつけたとき、父が涙をボロボロ流していたことに驚きました。

私が小学校低学年の頃に発病したせいか、私は母と会話した記憶がおぼろげで、逆に病気で感情が不安定な頃の険しい表情の母しか記憶に無いのですが、父には多くの思い出があり、母に辛い思いはさせないという覚悟で生きてきたんだろうと思います。30年間も母を第一に考えて生きてきた父なだけに、倒れたときは生きる気力を無くしたのかと心配しましたが、そこまで思い詰めていたのではなく、以前からの体調不良が積み重なっていて、母の葬儀を終えて一息ついたところで、気持ちがゆるんで溜まっていた体の病が噴き出てきたようです。

私にとっての母は、正直なところ辛い家庭の象徴でした。若い頃は、病気の母と不遇な家庭を憎んだこともあります。母の介護で遊びにいくこともできず、中学の頃は母の下の世話をするのが苦痛でした。高校の頃に絵を描く仕事に憧れましたが、父には話しを聞いてもらうこともできず、大学への推薦もできると言われたのですが経済的な事情で就職を選択しました。その時から、家庭の絆という重い足枷が無くなれば、どんなに楽だろうと考えていました。そのせいか、今でも家庭というものに憧れを感じません。

就職してからも、その気持ちは大きくなり、仕事に身も入らずミスを連発。会社の問題児になり、多くの人に迷惑をかけました。全て家庭のせいと思っていた自分は、会社を辞め、退職金を食いつぶしながら漫画家を目指しました。自分には才能がある。絵を描く時間が無いだけ。自分を馬鹿にした奴を見返す。そんな気持ちで半年ほど好きに生活していました。

結果は・・・何も作り上げられませんでした。そして、お金も尽きていました。来月の家賃も払えない状況でした。そんな時に、弟がバイク事故で亡くなりました。私は会社を辞めたことを父に内緒にしていたので、弟の訃報を聞くと同時に父から罵られました。完全に家族からの信頼を無くしました。おまけに家賃も払えず、喪服を買うお金もありません。このとき、漠然と抱いていた根拠のない自信は打ち砕かれました。自分がいかにダメ人間か思い知らされました。

ドラマならば、ここから気持ちを切り替えて夢を掴むのでしょうが、現実は辛いもので、お金に余裕の無い人間に紹介される仕事は肉体的にも辛く、長く続かず職を転々としました。しかし、数年も経つと社会に揉まれて経験値がたまり、いろんな人と話していくうちに、自分とは違う苦労を背負ってる人が沢山いて、そういう人ほど前向きに生きていて輝いている。逆に世間に愚痴ってる人ほど普通の家庭に育っていて大した苦労もしていなかったりする。自分も愚痴るのは止めよう。前向きに生きようと考え始めるようになりました。

気持ちを切り替えて数年。仕事は激務で、睡眠時間を削って絵を描き、インターネットの普及に乗ってHPを作り・・・気付けば道は開けていました。重い足枷は、苦境に耐える筋肉を与えてくれたように思います。今思えば、母の闘病生活が無ければ、今の自分は無かったでしょう。

私は母の死に直面しても涙さえ流すこともできませんでしたが、母には感謝の気持ちでいっぱいです。


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コメント 4

いろは

初めまして杉浦様。
毎回杉浦様のイラストを楽しみにチェックさせて頂いております。

他人である私には杉浦様の気持ちを全て理解し
励ましの言葉をかける事はできません。
ですが、自分自身の境遇や考えを客観的に見つめ直し、
見つけた答えを公表する事はとても勇気のいる事だと思います。

今回のお話を読みまして、そういう前向きな考えから描かれた
杉浦様のイラストからは自然と力強さが生まれ、私も
その魅力に惹きつけられていたのかなとも考えます。

これからもとても楽しみに杉浦様のイラストを拝見させて頂きます。
体調だけはご自愛下さい。
by いろは (2007-10-14 21:05) 

hajime

そういう今までの環境が杉浦義夫という絵師を創り上げたのかなぁと思うと、誰も真似ができない事に納得できます。
私は物心付くか付かないかの時に父親がいなくなり、十代半ばに一生治る事のない難病を発症しました。病院がセカンドハウスみたいに感じます(笑)
でも、あまり苦に思った事はないです。苦境と思った事も無いです。
まぁ、毎度手術前は落ち込みますが。喉もと過ぎればなんとやらです。
そして、片親と難病という免罪符のおかげで、何をやってもお咎めなしで周囲に物凄く甘やかされたからでしょうね。その分、私の母は不幸でしょうね。
絵描きとしてまだまだまだまだ未熟な自分が親孝行できるのはいつの事でしょう。今は何も考えずに描くしかないのでしょうね。
by hajime (2007-10-20 04:27) 

みそ

思っても実行するのはそう容易くない生き方だと思います。

私は毎日のように、一人になると「なんでこんなに自分は駄目な奴なんだ」と思ってしまう時間があります。人と話してるときは明るいんですが、、、
こんな自分に直面し、過去高校などでやった自己診断テストで毎回「情緒不安定」の結果が出たという記憶が、頭の片隅にこびりついてます。
前向きに生きようと考えた次の瞬間には遠い目をしていたりします。どうにかして直したいのですが、、、なかなか難しいものです。
by みそ (2007-12-03 23:25) 

よしお

>いろはさん
はじめまして。返事が遅れてすみません。
いつもHP見てくれてありがとうございます。
私の苦労というよりは、やはり親の苦労であって、誰しも自分の夢に障害はあるものですから、決して特別なことではないと思うのですが、ずっと胸の奥にしまっていた気持ちだったので、母の死を前に全て吐露したい気持ちになってしまいました。でも、こうやって反応をいただけたことで気持ちは軽くなりました。ありがとうございます。

>hajimeさん
こういうお話を聞くと、自分は恵まれているんだなと感じます。私自身、体にメスを入れたことも無い健康体ではありますが、腰を痛めて入院などはしたことあります。病院のベッドで長いこと生活を続けるのはご苦労も多いでしょうね。親孝行という意味では、私も大したことをしていません。父が息子の世話になりたがらないということもありますが、自分のふがいなさも大きいです。しかし、子供が前向きに生きていることだけでも親は嬉しいものだと思います。

私も母が病気になったころ、もっと前向きに介護をしていれば、違った生活を歩めていたのかもと思うときがあります。本当に夢や希望を持つことって大事だなと思います。いろいろと大変でしょうが、目標を持って日々過ごしていってください。


>みそさん
私も、自分の駄目さに落ち込んで、イラストレーターなんて名乗る資格なんてないのかも・・・という気持ちになること多いです。将来、仕事が無くなって孤独死する夢を見たりすることもあります。ただ、不安な気持ちになるのは、余計なことを考える暇な時間があるからだという言葉を聞いて、あまり将来のことを考えないようにしています。若い頃、自意識過剰なころがあって、いつも誰かに笑われているような不安な気持ちになって、今で言うところのパニック障害みたいな情緒不安定な時期がありました。電車に乗るのも怖くて、人から自分は変な奴と見られているんじゃないかとビクビクしてました。

でも、そんなこと考えているせいで、どんどん不安な思考回路に陥って、自ら情緒不安定な状態に追い込んでいる自分に気付き、それからは自分が他人をどう見てるか考え直してみました。そしたら、自分は人の顔や外見なんて大して気に止めてもいないことに気付きました。だから、相手も自分のことなんて気にとめているはずがないと考え、それからは何も考えずに外出するようになりました。まぁ、自分は普通ではないと思うので、たぶん変な奴と思われている可能性もありますが気にしない方が人生は楽しいですね。

自分でダメな奴だなんて思わずに、悩むことが多い分だけ成長していくんだと考えて頑張っていきましょう。
by よしお (2008-04-09 18:52) 

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